ミズカミの塩っぱいアルバイト遍歴 in NYとショルダーチャージ [ウェイターを3度クビに]

あなたも学生時代などにバイトで様々な甘酸っぱい思い出があるに違いない。

そこで、ミズカミの塩っぱいアルバイト経験を勝手に晒してみる。

2002年、20才の時に渡米してから初めてニューヨークでバイトしはじめた。

箱入り息子(今でもw)なのでそれまで日本では一切働いたことがなかったので、働いてお金を稼ぐ体験に飢えていた。

バイト期間は短大に進学する前の2004年年末まで。トータルで2年間。

ウェイター@ピアノバー

ピアノバーにピアノはない。日本人ホステスが主に現地の日本人に接客するソフトなキャバクラと言った感じか。

記念すべき人生初のアルバイトを2002年8月にスタート。時給は$7.50x8時間/日で日給60ドルだった。初任給(20日出勤)、$1,200ドルをもらった時は感激した。

ハロウィンのイベントで女装(大きなカップのブラを着けて盛ったw)して、人気投票では多くのホステスに打ち勝ち2位を獲得した。

911の影響でお店にはあまりお客が来なかったのとグラスなどをきちんと持つことができずよく割っていたので、ハロウィン後そうそうにクビ(一度目)になった。

ウェイター@日本食レストラン①

ダウンタウンのLower Manhattanと言う比較的治安の悪い場所にあったレストラン。

ウェイターはデリバリーオーダーも電話でとるが、俺は英語のリスニング力不足から満足にオーダーを取れなかった。

また、中国人のおっちゃんが自転車でデリバリーしていたが、深夜は治安上の理由でしていなかった。

一度おっちゃんが帰った後に間違ってデリバリーオーダーをとってしまい自分でデリバリーすることになった。

中国人のおっちゃんは一度ギャングから鉄パイプ?で襲撃された事がある。

配達中は数十分毎にレストランから安否確認の着信が入りどんだけ治安悪いの?と思いながらも、幸運なことに特に何もなかった。

2ヶ月でクビ(2度目)に

ツアーコーディネーター

日本からパッケージツアーに申し込まれたお客様を現地の空港⇄ホテルで送迎したり、ヤンキースタジアムまで地下鉄で案内した。

仕事時間がフライトに依存する不規則な仕事。

語学学校で午前中に授業を受け終わるとそのままホテルに向かっていたので、語学学校にはスーツで大量のヤンキース松井のバブルヘッド人形をDuane Readeのでかいバッグに入れて通っていたこともある。

職場の離職率は高かったが、1年半やり遂げた。

弁当配達

中国人オーナーによる日本のお弁当屋さん。

Lower Manhattanにあるお店で弁当をキャリーカートに詰めて地下鉄で移動してお昼に現地の日系企業をまわり弁当を売りさばいていた。

多い時には弁当を50箱運んでいたので、地下鉄駅の階段の上り下りが結構大変だった。

ウェイター@日本食レストラン②

ウェイターとしてリベンジするための最後のチャレンジ。

働きはじめた時には渡米してからすでに1年以上経っていたが、やはりリスニングに問題がありお客様からのオーダーを部分的に聞き取る事ができなかった。

特にワインの銘柄は何度聞き直してもわからず、勘でそれっぽいワインを出したら全然違ったりした。

そんな事が続き多分2ヶ月くらいでクビに(3度目)

そして、遂にリベンジが果たされることはなかった。

デリバリーパッキング@日本食レストラン

3度目にクビになった日本食レストランで多分勤勉な業務態度が認められて英語をほとんど使わないデリバリーパッキング(配置転換?)として再び働いた。

(仕事ができていない自覚はあったので早く来て働きはじめたりしていた。)

ここのシンガポール人アラフォー女性マネージャーはとにかく気が強く、俺のパッキングを手伝う時は俺にショルダーチャージして俺が少しよろけて空いたスペースに入り手伝ってくれた。

(体幹を鍛えていない俺はすぐによろけたが、長友あたりだとノーダメージだったかもしれない。)

数ヶ月しか働かなかったにも関わらず、年末に短大進学のためにやめる時にはお店からクリスマスプレゼントとして$100を、彼女からは個人的にBordersの図書カードをもらってうれしかった。

まとめ

NYではアルバイトも容赦無くクビになった。

そして、現在の収入は当時よりも少ない!

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